現代の日本はITやSNSの普及により、人々の暮らしや生活習慣が変わりつつあります。
また、日本人の心も何処かイライラしたり、世間では勝ち組負け組などという言葉が流行り、拝金主義を目指す傾向にあります。
その先に、本当の幸せや、私たちの理想の姿はあるのでしょうか?
明治維新後、わが国に西洋文明が押し寄せ、武士という階級は消滅しました。その時に、私たち日本人の中にある、日本人らしさという魂も消えてしまったのでしょうか?
武士道は死滅してしまったのか?
自分のあるべき姿さえ見失いそうになる現代で、美しい日本人のあるべき魂の原点は武士道にあると考えます。
武士道とは、どのような考え方なのでしょうか。
武士道の考え方
武士道とは日本の道徳観の支柱であり、新渡戸稲造によって世界に紹介されました。
武士道とは、ひとりの人物が決めた思想ではなく武士社会の成長とともに話で伝えられていった格言のようなものでした。
サムライだけでなく、広く庶民にも浸透しやがて大和魂、すなわち日本人の魂となりました。
武士は質素を好んだ
武士の食事は「一汁一菜」が基本の質素なもので、多くの使用人を抱える武家屋敷(お金持ち)でも献立にさほど違いはなかったようです。
武士たちにとって、贅沢は人格に悪影響を与えるもっとも恐れるべきものだと考えられていたようです。
武士にとっての刀の存在
武士道は刀を、その力と武勇の象徴としました
幼少の頃から刀の使い方を教えられ、まずは木刀から始まり、15歳で元服すると真剣を携帯しての行動を許されました。
その時、武士が自覚するのは「自尊心」と危険な凶器を往来で持ち歩くことに対する「責任感」でした。
刀はその持ち主のよき友であり、その親愛ぶりを表すにふさわしい愛称がつけられました。その感情移入は、ほとんど崇拝の域で、刀に対する無礼(床に置かれた刀をまたぐなど)は、その持ち主に対する侮辱とみなされました。
日本の寺社や名家では、刀を尊崇の対象として収蔵するほどでした。
武士道教育の精神について
日本の一般的な学校には宗教教育がありませんが、海外では「善悪の基準を宗教による宗教教育」により子孫に道徳教育を授けています。
ベルギーの法学者に「日本人は何をベースに道徳教育を授けているのか?」という問いに答えられなかった新渡戸稲造が、日本の道徳観を世界に伝えたのが「武士道」という道徳教育でした。
1900年に英文で発表された「武士道」は世界的ベストセラーとなりました。
武士道の「義」の精神
『打算や損得を超越し自分が正しいと信じる道を貫く』武士道の中心となる良心の掟を「義」の精神といいます。
「義」とは人間としての正しい道、つまり正義を指すものであり武士道でもっとも厳格な徳目です。
義を貫く…武士道の基本はフェアプレイの精神であり、卑怯なやり方を嫌います。
幕末の志士、真木保臣がいうには「義は体に例えるならば骨である。骨がなければ首も正しく胴体の上につかず手も足も動かない」つまり、たとえ才能や学問があったとしても「義の精神」がなければ武士ではないとうことです。
武士道の「勇」の精神
「勇」とは、義を貫くための勇気、正義を敢然と貫く実行力です。
孔子が論語の中で「義をみてせざるは勇なきなり」つまり、勇気とは正しいことを実行することだと述べています。
勇気といっても、わざと危険をおかし討ち死にすれば単なる「犬死に」であり、武士道ではこれを「匹夫の勇」と呼びさげすみました。
武士は幼少の頃から「匹夫の勇」と「大勇」の区別を学びました。
武士における「大勇」とは?
「勇気とは、恐れるべきことと、そうでないことがわかること」と、古代ギリシャの哲学者プラトンはいいます。
「本当の勇気とは、生きるべきときに行き、死ぬべきときに死ぬことである」と徳川光圀(黄門さま)もいいます。
以上のことから、勇気の精神的側面は冷静さであると理解できます。
武士にとって「犬死に」はつまらない行為ですが、自分が間違いと思うことに対しては、ためらうことなく命をかけて戦わなければなりませんでした。
文武両道の精神
「勇」をまっとうするためには、肉体的強さが不可欠でした。義の精神を机の上で学んでも自分より強い相手に怯えて実行できなければ無意味でした。そのため、武士たちは精神修行と同時に肉体も鍛えました。
武士たちは文と武の両立、つまり文武両道を追求していました。
武士道の「仁」の精神
「仁」とは、人間としての思いやり、弱き者や負けた者を見捨てない他者への憐みの心のことです。
高潔で厳格な「義と勇」を男性的な徳とするならば、「仁」は女性的なやさしさ、母のような徳であるといえます。
義と仁のバランスが大切であり、義に偏ると厳しすぎ、仁に偏ると甘すぎる精神になってしまいます。
仁の精神は他者への行動なので、優しさもときに裏切られることがあります。しかし「仁のチカラを疑う者は、薪についた大火を茶碗一杯の水で消せなかったといって、水で火は消せないと思うようなものである」と孟子はいいます。
難しいことですが、他者への思いやりを忘れない「仁」の精神は、人の上に立つ者の必須徳目といえます。
仁の精神を育て、他者の気持ちを尊重することから生まれる謙虚さが「礼」の根源となります。
武士道の「礼」の精神
「礼」とは、他者に対するやさしさを型として表したものです。
日本では古来より
- お辞儀のしかた
- 歩き方
- 座り方など
細かな規範がつくられ、かつ学ばれていました。食事の作法は学問となり、茶の湯は儀式を越え芸術となりました。
茶の湯の作法は初心者にとって退屈なものですが、その定められた方法が結局、時間と手間を省く最上の方法であることを発見します。
礼儀作法はさまざまな流派が存在していますが、心で肉体をコントロールし心を磨くという点において目的の本質はひとつであるといえます。
武士道の「誠」の精神
「誠」とは、文字どおり「言ったことを成す」ことです。武士にとって嘘をつくことやごまかしは、臆病な行為とみなされました。
「誠」の旗印で有名なのは幕末の新撰組です。
新撰組の誠の旗には、主君に対する忠誠の想いと、「誠に生きる」という信念が込められていました。真実性と誠意が武士の行動規範そのものといえるでしょう。
武士道の「忠義」の精神
これまでに紹介しました武士道の精神は儒教思想に基づいたもので、あらゆる階級の人々にもあてはまります。ところが「忠義」は武士唯一の特殊な徳目といえます。
忠義とは主君に対する絶対的な従順のことで、一見その本質は日本の封建社会が生みだした政治理念に見えますが、古代ギリシャの哲学者たちも似たようなことを言っています。
- アリストテレス…個人は国を担う国家の一部として生まれてくるのだ
- ソクラテス…あなたは今まで国家に生まれて教育されてきたのに、自分が国家の家来ではないと国家にいえるのか?
つまり日本独自の政治理念ではなく、共通の考え方が海外にもあったということです。
西洋の個人主義においては、主君に対して個人と別々の利害が認められていましたが、武士道においては個人・家族そして広くは組織・国家の利害は一体のものでした。
主君の命令は絶対でしたが「武士は主君の奴隷ではなく」主君の間違った考えに対して本物の武士たちは、命をかけて己の気持ちを訴えました。
忠義とは、強制ではなく自発的なものであるといえます。武士たちは、あくまで「己の正義に値するものに対して」忠義を誓ったのでした。
武士道の名言
敵に塩を送る
時は戦国時代、越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄は当時の有力な戦国大名で、両者はともに天下統一を目指しぶつかり合うライバルでした。
そしてもう一人、上杉謙信と同じく武田信玄と対立していた今川氏真は、武田領内へ商人が往来するルートを断ちました。1567年の塩止めです。
領土が海と面していない甲斐国にとって、塩が手に入らないことは死活問題でした。苦しむ信玄のもとに謙信から手紙が届きます。
「私が信玄殿と戦っているのは、弓矢の上であって米や塩で戦っているわけではない。今後、塩が必要なら我が国から供給しましょう」
たとえ敵でも、困っている相手には手を差しのべるのが武士
生きるか死ぬかの戦国時代、卑怯な手段を使ってでも勝利にこだわる武将が多いなか、謙信はあえて美学にこだわりました。
義に過ぐれば固くなる、仁に過ぐれば弱くなる
戦国大名の伊達政宗の言葉です。先ほど説明した武士道の精神の「義と仁」のバランスが大事であるという意味です。
厳しすぎず、甘やかしすぎないバランスが重要であると理解できます。
度をすぎた礼は、もはやまやかしである
これも伊達政宗の言葉で、礼の作法に気持ちがこもってなければ、型をなぞっただけのワザとらしいものになる、という意味です。
形式ばった挨拶やうわべの付き合いなどは、相手に対して失礼であるといえます。
武士に二言なし
武士道の徳目のひとつ「誠」から生まれた言葉です。
嘘やごまかしの多い人は信用に欠けます。信用のない人の周りには人は集まらず、組織の中でも孤立してしまうのではないでしょうか。
堀江貴文さんの言葉で、「お金持ちよりも信用持ちを目指しなさい」というのがあります。お金はあくまで後から付いてくるものであり、本当に大切なのは他人から信用されることであるといえます。
負けるが勝ち
江戸の無血開城に貢献した勝海舟はこのように語っています。
「私は人を殺すのが嫌いで、ひとりも殺したことはないよ。人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だった。なに、ノミヤシラミだと思えばいいのさ。チクリチクリと刺しても、ただカユイだけだ。生命に関わりはしないよ。」
戦わずして勝つ…血をみない勝利こそ最善の勝利であり、武人の究極の理想は平和であるといえます。
武士道の名誉とは
富の道が名誉の道ではない
武士社会の時代の職業のなかで、武士と商人ほどかけ離れた職業はありません。当時の日本の商人も仲間うちで道徳律をもっていました。
株仲間、両替商、相場、裏判、手形、為替などの基本的な商制度です。逆に武士たちは、銭勘定を嫌い「誠」の精神に基づき証文さえもつくりませんでした。
武士たちは、損得勘定の生き方より、正義を貫く清廉潔白な生き方を名誉としました。
武士道における名誉とは『自分の名を尊び、恥じない高潔な生き方を守ること』です。
名誉の概念は、外聞や面目などの言葉で表されますが、裏を返せばすべて「恥」を知ることであるといえます。恥は道徳意識の基本であり、武士道における「名誉」とは、人としての美学を追求するための基本の徳であるといえます。
しかしながら、武士は恥を恐れるがあまり、病的ないきすぎた行動に陥ることもあったようです。
例…街中で町人の失礼な態度に武士が怒り、抜刀してしまうなど。
武士道とは美しく死ぬこと?
武士たちは「どのように美しく死ぬか」を追求しました。
それは同時に「なんのために生きるか」という哲学にたどり着きます。
「なんのために生きるか?」は、主君のためだけではなく、その対象が自分の正義であったり、家族であったり、その時の個人の状況によりさまざまでした。
有名な戦国武将の真田幸村は、最期大阪夏の陣で命を落とします。彼の晩年は幽閉の身ながらも家族と幸せに暮らし、地域の人々とも交流をもっていました。48歳で生涯を終えますが、当時は人間50年といわれたように、現代でいえば80歳手前の感覚だったのではないでしょうか。
高齢の彼は幸せなのんびりした暮らしを捨て、戦場に散る道を選びました。
彼が現代でも人気なのは、大阪夏の陣で明らかに劣勢な豊臣方に命をかけて味方し、自分の正義を貫いたことといえるでしょう。
武士道の漫画
武士道やサムライの哲学をわかりやすくお子様でも学べるのは漫画です。武士道の考え方は現代の生活とはかけ離れており、その精神をわかりやすく受け入れるのに漫画は最適といえるでしょう。
わたしが所有してる作品をご紹介します
武士道
新渡戸稲造の著書「武士道」をわかりやすく漫画にしたものがあります。
お子様でもわかりやすくオススメです。
おーい龍馬
幕末のヒーロー坂本龍馬の生涯を漫画にしたものです。幕末にはサムライの魂を集約したような新選組の存在と、革命に燃える志士のお互いの正義の対立が魅力です。日本人が日本とは?を必死に考えた時代であったといえるでしょう。
わたしも全巻所有しています。
おーい! 竜馬 全12巻完結セット (新装版) (ビッグコミックスペシャル)
まとめ
今回は、自分の存在さえあいまいになりそうな現代のインターネットやSNSの社会で、日本人としてどのように美しくあるべきかを武士道から考えてみました。
武士道の思想は、わたし達の中にDNAレベルですり込まれてると思います。
春の桜をみて美しいと思うのと同じように、私たちの心の中に存在してるはずです。
わたし達日本人が美しく生きるヒントは、古来から受け継がれてきた武士道精神にあるといえるでしょう。
SNSの匿名性による誹謗中傷や、あおり運転・幼児虐待など、現代の日本人には美しい道徳教育が必要なのかもしれません。