心理学が有名になったのは「アドラーの心理学」ではないだろうか
アドラーの心理学は、自己啓発な面が強く・理解しやすく・心にスッと入ってくるのが魅力だ
しかしながら、人の本質は深層心理にあり「本当の心の成長や、悩みの改善を考える」にはユングの心理学をおすすめしたい
ユングの心理学は日本人の歴史や気候、国民性と相性がいいと感じるからである
今回はユングの心理学について有名な著者、河合隼雄の「無意識の構造」をご紹介しながら、ユングの心理学の基本「無意識」について、アニメやエンタメで例えながら考えてみたいと思う
無意識へのアプローチ
無意識の働き
耳が急に聞こえなくなった女性を例に、無意識の存在について書かれている。
治療者は彼女と筆談を繰り返すうちに、彼女の耳に異常があるわけではなく、彼女の耳は「聞こえるのだが聞こえない」状態にあることを知る。
その原因が彼女の主人にあり「主人の言うことを聞きたくない気持ち」からのものであると判明した。
*主人のいうことを聞きたくない原因は「主人の浮気」であった
このように心理的な問題が身体的な症状に転換することを「ヒステリー」という
ヒステリーの治療を通じて、その心理的なメカニズムを明らかにしたのは、
精神分析の創始者であるフロイト
フロイトの考えに従って、先にし示した例を説明すると
- 彼女が夫の浮気を知ったとき、彼女の意識はそれをまともに受け入れることができなかった
- 夫に対する怒りから離婚も考えるが、離婚に伴う損失とのあいだで妥協点を探した
妥協点とは「夫の浮気を忘れること」…しかしながら、それが意識的に行われた訳ではなく(ヒストリー性健忘という)彼女の心に傷を残したままであった
フロイト「無意識の心的過程」
夫の浮気はその後意識されることはなかったが「無意識内に彼女の中に存在しつづけ」それに伴う情動は意識されないままはたらいていた。
例えるなら、身体的にケガをして出血しているのに「ケガ自体をなかったこと」にしてしまっている状況に似ている。それが意識的に行われたわけではなくケガは存在し続ける…これをフロイトは「心的外傷」と呼んでいる
このような外傷体験とそれに伴う情動を意識の外に追いやることを「抑圧」と名付けている
ヒステリーの治療は、抑圧されている外傷体験を見いだし、意識化することが大切である
フロイトとユングは「無意識についての研究」で出会い、その後離れていくのだが「深層心理学」の根幹は同じである
コンプレックス
コンプレックスという用語は「心的複合体」などと訳されていたが、現在は日常語のようにさえなっている。これを、今日使われているような意味で最初に用いたのはユングである。
本書より引用
コンプレックスに関しては、別書「コンプレックス 河合隼雄著」で詳しくみるとして、今回は大筋だけを説明する。
人の無意識なコンプレックスを見つけるためにユングは、言語連想検査を用いた。言語連想検査で、ときどき反応時間のおくれが生じるところが、無意識なコンプレックスであると発見する。
他にも、幼児が父を嫉妬の対象として敵視するエディプスコンプレックスや、劣等感コンプレックス、人間関係におけるメサイヤコンプレックスについても書かれている。
心の構造
人間の心を意識、無意識などと層構造にわけて考えるところが深層心理学の特徴である。
人間の無意識な層は
- その個人の生活と関連している個人的意識
- 他の人間とも共通に普遍性をもつ普遍的無意識
とにわけて考えられるとユングはいう。
普遍的無意識は「あまりにも心の深層に存在する」ので一般人が生活してる日常において意識されることはないだろう。
ひとりの人間の心は、ひとつの世界であるともいえる。
イメージの世界
イメージとシンボル
われわれの行動はイメージによって動かされている。
イメージは単純な記憶像から夢やヴィジョンなど色々あるが、すべて本人の主観的体験で作られている。
本書より引用
イメージについては、日常生活と密接な関係にあり難しく語る必要も無いと思う。
例えば、有名ブランド・怖い上司・優しい先生などがわかりやすいイメージだろう。しかしながら、同じ対象であっても受けるイメージは違い多義的で、そのときの状況と本人により印象は変わる。
イメージとシンボルは、体験の言語化しがたい部分を生き生きと描き出してくれる人間の無意識の探究には不可欠な素材である。
心的エネルギー
物理的なエネルギー(歩くなど)ではなく「気を使う」「気を張る」などで消費されるエネルギーを心的エネルギーという。
人間の仕事をみてゆくとき、そこに使用された心的エネルギーは結局のところ性的なエネルギーに還元されるとし、
それを「リビドー」とフロイトは名付けている。
本書より引用
ユングは性的エネルギーも含めたものを心的エネルギーとし、心の中を絶えず流動してると唱えた。その心的エネルギーを自我のほうに戻すよう努力することが心理療法である。
創造性
無意識内に存在する創造性に注目し退行現象が常に病的なものとは限らず、創造的な側面をもつことを指摘したのはユングの功績である。
本書より引用
個人的な解釈でいえば「温故知新」がわかりやすいのではないだろうか。
古い考えや文化などを見つめなおし(退行)新しい考えや文化などを再構築する…ユングの心理学は東洋の考え方と似てるところが多く、日本人に適していると思う。
シンボルの形成
集団の中で創造的な能力のある個人が、なんらかのシンボルを見いだすと、集団の人々はそのシンボルに新たなエネルギーを沸き立たせることになり、宗教に似ている。
本書より引用
日本人的にいえば大義名分ではなかろうか
大義名分は個人・集団に、どのようなことであっても正義をあたえ、とてつもない結束やチカラを発揮する。
現代はテクノロジーの進化により世界が均一化に進み、シンボルが失われつつある。
拝金主義に疲れた人々は「自分はどう生きるべきなのか?」と自分の人生のシンボルを模索してるように感じる。その先にある「自分らしい生き方・好きなことで生きる」という考えが現在は広まっているが、それさえも現代の呪いではないかと私は考える。
心の深層にある自身を理解するために本書では、こう書かれている。
われわれの個人のシンボルを理解するのに最も適した手段は「夢を観察すること」である。
夢は無意識界から意識へと送られてくるメッセージだからだ。
本書より引用
夢
無意識は活性化され、その動きを睡眠中の意識が把握し、それを記憶したものが夢である。夢は意識と無意識の相互作用のうちに生じてきたものを、自我がイメージとして把握したものである。
シンボルの真の探索は、夢から行わねばならない。
夢は意識の過大評価を現実へと引きもどす類のもの、逆に過小評価を引き上げるものもある。
夢の分析
ユング派の心理療法において夢分析をきわめて重要視し、1番大切なことは夢を見た本人が「どのように感じ・考えるか」である。
個人的な連想が意味をもたないときは神話や昔話などの内容と関連づけ、ユングは夢分析における「拡充法」と呼んでいる。
夢分析において、ユングは主体的水準と客体的水準の二様の解釈があることを指摘しており、常にひとつの夢に対して両面から考えてみることが必要である。
無意識の深層
グレートマザー
人間の無意識の深層には「普遍的無意識」と呼ばれる領域が存在することをユングは主張している。
われわれ人間は、無意識の深層に自分自身の母親の象を超えた、絶対的な優しさと安全感を与えてくれる母なるイメージをもっている。
ユングは人類に共通のパターンをもつことに注目し、母なるものの元型が人間の無意識の深層に存在すると考えた。
本書より引用
日本人の深層にあるのは「自然との共生」ではないだろうか。
母なる大地、母なる海と形容されるように農耕民族であった日本人の深層にある心理は自然と関係している。
しかしながら、自然は優しい恵みだけではなく、時には容赦ない天災(地震・雷・山崩れ・火山噴火など)ももたらす。
その否定的な部分を人の心理について本書では、こう書かれている。
母なるものの特性のもっとも基本的なものは「その包含する」はたらきである。それはなにものをも包み込み自らと一体となる。
心理療法において「母性」が重要な役割を果たすようだ。しかしながら、母なるもの=グレートマザーの特性は、すべてを包みこむことにあるが、それは見方によって肯定的な面と否定的な面をもっている。
肯定的な面は、どうしても公的なものとして一般に褒め称えられる。昔話や伝説などで否定的なグレートマザー像として、例えばヨーロッパの人喰い老婆や魔女、日本では山姥が肯定的な面を補償する存在としてあげられる。
日本人は自然の否定的な面をおそれ鎮めるために神格化していくことになる。
古くは「土偶」などの像を作り祈りを捧げることへ発展していく。
自然について考えるために神話を作る行為は世界で共通であるのも興味深いところだ。
死と再生
グレートマザー像の崇拝の対象となるもっとも大きい要素は、それが持つ「死と再生」の秘密にある。
1人の女性が母性の体験をもつことの底には、この密儀(母胎)が常に存在している。
初潮のときの体験による、彼女自身や取り巻く人たちのアクションが母性のあらわれと関係しているようである。
本書より引用
女性が初潮をむかえた時の家族のリアクションが、彼女の人生の後に及ぼす母性への影響は大きいようである。
女性の心の中で出産(再生)を意識する瞬間であり、その自然の流れをすんなりと受け入れることは大自然との同化ともいえるのではないだろうか。
自然に生じたものをそのまま受けとめることは、本質において死の受容につながっており、それは次の出産(再生)へと発展してゆくものである。このような偉大な受容性が母性の本質の中に存在している。
元型
グレートマザー、母子関係、退行のもつ創造性がユングの元型の概念である
原始心像
ユングは統合失調症患者の幻覚や妄想を研究するうちに、それらが世界中の神話や昔話などと共通のパターンや主題を有することに気がついた。
これらの典型的なイメージを最初のうちは「ヤーコプ」ブルクハルトの用語を用いて原始心像と呼んでいた。
原始心像のイメージのもととなる型が無意識内に存在すると考え、それを元型と呼び色々な元型を探ることが、ユングの心理学における重要な課題となった。
元型そのもの
元型は無意識内に存在するものとして、あくまで人間の意識によっては把握しえない仮説的概念であり、これの意識内におけるはたらきを自我がイメージとして把握したものが元型的イメージ(原始心像)なのである。
本書より引用
コンプレックスの弱い人は、元型的なものの侵入を受ける危険が高い
元型には文化差があり、我が国においてはグレートマザーの力はきわめて強く、それと対決し、あるいは倒すことはほとんど不可能に近い。
以上のことから、日本におけるグレートマザーとは自然そのものと私は解釈する。
影
ユングは影について
「影はその主体が自分自身について認めることを拒否しているが、それでも直接または間接に自分の上に押しつけられてくるすべてのこと。例えば、性格の劣等な傾向やその他の両立しがたい傾向を人格化したものである」と述べている。
影の種々相
われわれ人間は誰しも影をもっているが、それを認めることをできるだけ避けようとしている。
影には
- 個人的影(人によって異なる)
- 普遍的影(悪の概念に近いもの)
以上の2つがある。
自分の影の存在を認めないようにするため「自分の影を他人に投げかけ投影する」のは有名な話だろう。
他人の嫌いなところは、自分の影ということ
そのように他人に投げかけた自分の影を自分にあてはめ、自分の無意識にある傾向をどのように生きるかを考えるべきである。
これを「投影のひきもどし」という。
日本のことわざでいえば「他人の振り見て我がふりなおせ」である
「影の肩代わり」という現象
例えば、素晴らしい教育者の子供が非行少年になった。親のあまりにも影のない生き方が、子供に肩代わりを要請するのである。
芸能人の2世タレントや、2代目社長などにみられる傾向でもある。
影の病い
江戸時代に「影のわずらい」とか「影の病い」と呼ばれていたものがある。これは「離魂病」とも言われ、人間の魂がその身体を離れて漂泊するという考えによっている。
影の病いとは現代でいう「二重人格」であり、第二人格は第一人格の性格とまったく対照的で第一人格の影であるとわかる。
トリックスター
影は暗い存在であるが、逆説的な性質としてトリックスターがある。
トリックスターとは神話や伝説で活躍する「策略にとみ・変幻自在であり」破壊と建設の両面を有している。
トリックスターは二つの世界の中間地帯を跳びまわり、そこに波乱を巻き起こす。失敗したときは人騒がせないたずら者であり、成功したときは新しい統合をもたらす英雄となる。
本書より引用
発展した現代社会は、トリックスター的な人が成功してるように感じる。
発展しつくした現在は「何かと何かを掛け合わせ新しい価値をつくる」ことが多い。逆にいえば、1から価値をつくる時代ではないともいえる。
1から価値をつくる必要がないため、現代人にとって何よりも必要な要素は行動力であるといえる。
1から価値をつくる必要がないのは「誰でも容易に価値をつくることができる点」でも他人より早く動く行動力が重要であると理解できるだろう。
無意識界の異性像
ペルソナと心
ユングは夢の中に現れる異性像の元型を、アニマ(男性の心の中の女性)、アニムス(女性の心の中の男性)と名づけている。
ペルソナとは、古典劇において役者が用いた仮面のことである。人間がこの世に生きていくためには、外界と調和してゆくための、その人の役割にふさわしい在り方を身につけなくてはならない。
人間は外界に向けて見せるべき自分の仮面を必要とするわけであり、それがユングのいうペルソナなのである。
しかしながらペルソナがあまりにも硬化してくると、その人は私生活において人間味を失い非個性的な存在になってしまう。
本書より引用
現在でいえば女性アイドルがこれに近いように感じる。
女性アイドルは日々の忙しさ、いつも笑顔でいること、望まない人との握手会、世間の誹謗中傷など精神的負担が大きく私生活でも心が疲れ病んでしまうかたをみかける。
ペルソナの影響は大きいようだ。
アニマ
男性は一般的に「男らしい」といわれているような属性をもったペルソナを身につけねばならない。その時、彼の女性的な面は無意識界に沈み、その内容が、アニマ像として人格化され夢に出現するとユングは考える。
アニマは男性にとって「感情やムード」それに「非合理的なものへの感受性」人や事物に対する「愛や関係性」無意識に対する開かれた関係などをもたらすものである。
アニマが肯定的にはたらくとき、それは生命力や創造性の根源となる。
多くの芸術家が、その内に存在する「永遠の女性」を求めて努力するのも当然である。
本書より引用
西洋美術や日本の仏像・世界の女神像などに「永遠の女性」を感じることができるのではないだろうか。
さきほども述べた「日本の女性アイドルブーム」もアニマから理解できる。
現在の女性アイドルは、ブームの影響もあり毎年新しい若いメンバーが登場している。これは、言い換えると「永遠の若さ」といえる。それに女性アイドルはいつも笑顔で優しく「理想の女性」を感じれる存在でもあり、ブームになった理由は人の深層心理にあるようだ。
エロス
精神分析でいうエロスとは、人間の欲動の1つとして捉えられている(フロイト)
男性は自分のアニマ像をある特定の女性に投影し、そこにエロスの感情を感じることがある。
アニマのもつエロス的な要素には、4つの発展段階があるとユングはいう
- 生物的な段階
- ロマンチックな段階
- 霊的な段階
- 叡智の段階
1.生物的な段階
ともかく女であり、子供を産めることが大切
2.ロマンチックな段階
美的で性的な要素によっても特性づけられ、西洋の芸術で作られる作品のような印象
3.霊的な段階
聖母マリアのように母でありながら、同時に処女であり「母親としての至高の愛」と「乙女の清純さ」をあわせもつ存在である
4.叡智の段階
ギリシャの女神アテネまたは、父親から産まれた太陽の女神アマテラスのような神話的存在
一般に男性はアニマ像を投影した女性と結婚し、それによってある程度のバランスを得て、男性として必要なペルソナを築き上げることに専念する。
しかしながら、中年の頃にアニマの問題は内面のこととして再び持ち上がってくる。
例えば、若い頃にあまり遊んでいない男性が中年になりクラブやキャバクラなどに急にハマりだすのは有名なことではないだろうか。
現在の日本は、空前の女性アイドルブームであり、そのブームを支えてる層に中年男性が多いことも理解できる。女性アイドルほどアニマに近い存在はなく、女性アイドルブームも相まってメンバーの選択肢が多いからである。
アニムス
男性にとって、その内的な「永遠の女性はなにか一人」という実感があるものだが、女性にとっての「内面の男性は複数」であるようだ。
男性がアニマ像の母胎を母親とするように、女性はそのアニムス像の基礎に父親をもっている。
父親は職業が多くあるように、イメージもそれによって色々あるというわけだ。
アニムスも4つの段階に分かれる
- 力の段階
- 行為の段階
- 言葉の段階
- 意味の段階
1. 力の段階
男性の力強さ、とくに肉体的な強さを表す
2.行為の段階
強い意志に支えられた、勇ましい行為の担い手としての男性像によって表される「頼もしい男性」
頼もしい男性の出現による未来の人生の展開などという、願望に満ちた考えとして生じてくる。このアニムスにとりつかれてしまうと積極的で行動的になり、弱々しい男性を好むようになる。
3.言葉・意味の段階
彼女たちの師としての男性に投影されることが多い
師とは、学者・教授、あるいは彼女たちの稽古ごとの先生が、アニムス像の投影をうけ「教育ママ」になりやすい
男性と女性
ユングは「アニムスは意見を好み」「アニマはムード」を好むといっている。なので夫婦間の男女の役割は容易に交代する。
本書より引用
男女の役割が交代するとは、母親が子供に対して叱ってる時、父親が優しくフォローする様子がわかりやすい。そのように、相手に対して求めるアニムス、アニマを持つ人と結婚すると互いの心を補完できるといえる。
この点をアニメ化したのが、エヴァンゲリオンではないだろうか?
エヴァンゲリオンの話の最終目標は「人類補完計画」とされており、自分の好む相手と互いに欠けてる心を補い1つになるというものだ。
エヴァンゲリオンでは補完する相手は異性とは限らず描かれている点も面白い。
エヴァンゲリオンでは、ノアの箱舟やアダムとイブなど宗教的な事を連想させるシーンが多々あり、興味を持たれたかたはアニメを見てほしい。
男性と女性、アニマとアニムスという複雑な問題をまとめると次のようになる。
1人の人間がエロス(欲動)とロゴス(理性によって把握される論理)の両方の原理を身につけることが望ましいといえる
自己実現の過程
自我と自己
ユングがもっとも重視しているともいえる、自己については東洋思想との結びつきが濃い。
人間の心のなかに対極性が存在し、それらのあいだに相補的な関係が存在していることが明らかである。
本書より引用
これは、さきほど紹介したエヴァンゲリオンの補完計画にみれる。
人間の意識は自我を中心として、ある程度の統合性と安定性をもっているのだが、その安定性をくずしてさえも、常にそれよりも高次の統合性へと志向する傾向が人間の心の中に存在すると考えられる。
自己
人間の意識も無意識も含めた心の全体性に注目し、そのような心全体の統合の中心としての自己の存在をユングは仮定した。
心の全体性という考えについて、ユングは東洋の思想から大きい影響を受けている。
自己はユングの定義に従うかぎり、あくまで無意識内に存在していて意識化することは不可能なものである。
人間の自我はただ、自己のはたらきを意識化することができるだけである。
本書より引用
わかりやすく説明すると、自己(無意識)という大きな枠の中に、自我(意識的な)があり、自我と自己の境界線にコンプレックスがあるというイメージではないだろうか。
物事で例えるなら、あなたの周りにある環境・仕事・家族・人間関係などすべてが自己であり、他人と無関係に自分(自我)だけの成長は不可能に近いと理解できるだろう。
日本人の意識
自己という考えは、日本人には西洋人より受け入れやすいと思う。
私がユングの心理学を皆さまに薦める理由でもある。
西洋人は自我を中心として、それ自身1つのまとまった意識構造をもっている。
これは、後にも出てくるが宗教が関係してると思われる。西洋では一神教がメジャーであり、そのような考え方が古くから続いているのが関係しているのではないだろうか。
東洋人は、まとまりを持っていないようでありながら、無意識に自己へ志向した意識構造を持っているようだ。
我が国でいう、自己とは自然や季節・天災だと考える。自己の象徴として自然が選ばれることもよくあり、自然はあるがままにあるものとして、自己の象徴に適しているといえる。
石も全世界にわたって、宗教的な崇拝の対象となっている。自然石を思う尊ぶ傾向が強く最近でいえば、スピリチュアルな石がわかりやすいのではなかろうか。
マンダラ
自己の象徴が幾何学的な図形によって表されることにユングは気づいた。
マンダラ図形が無意識の心理学における重要な要素であると長々と書かれているが、私には全く理解できなかった。
マンダラ図は、我が国の密教においても重要なものであるが、マンダラ図形を作ったのは宗教家である。
宗教家の思想の根源が「自然や季節・天災など」にある場合、無意識的に似たような図形を描くのは当然ではないか?と私は思う。
ただユングは東洋的な宗教を信仰していたわけではなく、描いた図形がマンダラに似ていた点は興味深いが、無意識の自己を世界というならば、そう描くのは当然であると理解できた。
私が理解できるのは日本人であり「自然崇拝の意識が日頃からある」からかもしれないが…
他界への旅
個性化の道を歩むためには、われわれは自分の内界(無意識界)に目を向けねばならない。ここでいう内界とは、自我によってコントロールできない、あちらの世界。
あちらの世界とは、無意識の深層における体験にぴったりくるのは、昔話や神話などにある他界の話である。
昔話や神話という点からも日本は独特な世界観があり、無意識の深層を学ぶうえでわかりやすいのではないだろうか。
日本人としての無意識を考える場合、日本神話などを学ぶとわかりやすいと思う。
日本神話と自然の関係性は深く、個人的には容易に理解でき、ユングの心理学が日本人に適してる理由の一つでもある。
共時性
自己実現における重要な要素として「時」ということがある。
「人生の前半は」その人にふさわしいペルソナ(社会的な仮面)を形成するため、社会的な地位や財産などを作るためにエネルギーが消費される。
しかし「人生の後半は」死ぬことも含めた人生の全体的な意味を見いださなければならない。このような「時」が訪れたとき、多くの人は中年の危機を迎える。
本書より引用
中年まで順調にすすんできたひとが「何故こんな犯罪を犯すのか?」とテレビの報道で目にする事も多いのではないだろうか。
思春期に荒れることは有名な話であるが、中年の荒れる時期を「思秋期」と書いてる点は面白い表現である。
そんな中年の危機が不安な方にオススメなのは、中国の易経であるようだ。
共時性による見かたは、中国人の得意とするところだ。事象全体をとらえて、その全般的な相を見るのである。
日本人の自己実現
ユングの個性化の理論から、われわれは多くのことを学ぶか、結局は日本人としての個性化という点で、自ら考え自ら生きることが重要であると思われる。
自ら体験し、自ら考えることこそ、ユングのいう個性化に他ならないと思うからである。
以上で本書は終わっているのだが、個人的には「なんじゃそりゃ!」である。
現在、アドラーの心理学が多くの指示を得てるのは明確な指針があり、わかりやすいからであろう。
ユングの心理学には、明確な答えがなく自分で考えることが答えとなっている。
日本人としての自己実現についても、私は本書を読んでいる中盤あたりから、自分の答えは出ており終盤(自己実現の過程)を読み進めるのが退屈であった。
参考文献のページを見てもらえばわかるのだが、イメージの世界の章から参考文献が多くなり著者とユングの考えからズレていき「結局のところ何が言いたいのか?」がわからないことも多々あった。
ユングが夢分析を心療療法の基本にしてるので、患者の夢からの話の展開が多かったのだが「夢の内容をそんなに覚えてる?」という違和感も感じた。
私には理解しがたい「ボリュームの夢内容」だったので、この記事では引用しなかったが興味がある人は著書を読んでみてほしい。
夢の内容から著者の伝えたい事に「強引に引っ張ってる点」を感じてしまった。
とはいえ、ユングの心理学の基本が「無意識を理解すること」であるとわかったので、次のコンプレックスについて深掘りしてみようと思う。